面白さは変わらず、ハラハラ・ドキドキ。そして心揺さぶるラスト。
ボー・ピープ(9年前にアンディの家から消えたウッディの恋人)
フォーキー(新たな持ち主となったボニーが幼稚園で作ったおもちゃ)
ギャビー・ギャビー(アンティークショップの女の子と遊ぶことを夢見る人形)
ごく簡単に端折ると、逃げたフォーキーをギャビー・ギャビーが捕える。彼をボニーの元へ返すため、ウッディとボーの活躍が始まる、というものです。
海外の報道などによれば、シリーズの生みの親、ジョン・ラセターは当初、『3』に登場しなかったボーをウッディが捜すストーリーを考えていたらしい。
ところが、ピクサー社内の大激震によりラセターは失脚。ラセター派のスタップも去り、ストーリーの4分の3を新たにしたそうです。
その結果、ボーがストーリーの中心となり、ウッディを引っ張っていく役目になったと思われます。
実際アクションの見せ場はぼぼ、ボーの独壇場(女性軽視のラセター脚本では絶対こうはならなかったでしょう)。
キャンピングカーの誘導はちょっと強引で反則ぎりぎりな感じもします(「ファインディング・ドリー」もそうだったな)。
ウッディはボーとの会話や、ギャビーの願いを聞き、一つの疑念を思い始めます。
「おもちゃはずっと持ち主のための存在なのか」
おもちゃ仲間を見捨てることは決してないウッディですが、ボニーと自分との関係を振り返る時期が来てしまいます。
男が岐路に立つ時、影響を与えるのは常に女性、という人生の王道(というか真理)を見せつけられた気がします。
クライマックスの別れのシーンでもウッディたちは涙を流しません。おもちゃだから。
だけど見ている観客には自然と涙が溢れてきます。
物語は離れていくバズとウッディ2人のセリフで締めくくられます。ウッディの不安げな声が印象的でした。
「無限の彼方へ、さぁ行くぞ」
ウッディは仲間たちときっとまた会える気がします。移動遊園地にボニーが遊びにくるかもしれませんし、もしかしたら成長したアンディが恋人といるかもしれませんね。
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